幸せな後ろ姿

思いがけず人生の軌道修正 気持ちの整理やこれからをどう過ごしていこうかと悩み中

主人の事

先日、控除証明書が必要で主人に連絡した。


別居を決めた頃の主人とは違い、何時もの優しい主人だったな


4年前からうつ病の治療をしていて、アルコールは避けなければならないのに、やめる事なく飲み、ここ1年でアルコールの量は確実に増えていて結局アルコール依存症になっていた。

それまでは何度も治療の妨げになるからやめたほうがいいと話してきたのに、聞き入れてはくれず私もくたびれてきて何も言わなくなっていた結果がこれです。

うつ病の薬と一緒にアルコールを摂取すれば正常な判断も出来なくなり、冷蔵庫の中を漁り色々な物を食べ、記憶の無い行動をしたり…何をやりだすか分からない。

主人が仕事休みで私が仕事の日なんか帰宅すると、ウイスキーの瓶が2本転がっていたり。

飲んだくれたオヤジそのもの。

嫌な光景です

失禁の症状も出ていて、1日に何度もトイレや部屋の掃除をしたり、私のストレスもマックスでした。


そんな時に、家族間で大きなトラブルがあり、主人は仕事帰りに「今から電車に飛び込む」とか私や息子を罵るメールをしてきたり…。

バットを持って左右違うサンダルを履いて何処か行ってしまったり(どう見ても異常)、明らかに正常な状態ではなく、私の自転車を壊すほど怒り私の事を憎んでいました。


かかりつけの心理内科の先生に相談して専門の病院に入院させようとしたけれど、本人が首を縦に振らず、四六時中監視もしていられないので、息子達とも相談して強制入院をさせました。

病院ではうつ病とアルコール依存症の治療ですが、主にアルコール依存症の治療でした。


電話で「離婚届に判を捺して明日持ってこい」だの「別居」だのと主人の怒りは頂点に達していました。


2ヶ月程入院をしていた中で

「早く退院させろ」

「俺はアルコール依存症じゃない」

「これからもアルコールはやめない」

と訴えてきた。

何度か確認したが、私にとって「アルコールはやめない」の言葉が一番の決定ではないけど、別居を決める重要な理由のひとつでした。

私の老後にアルコール依存症の人との生活は無いとずっと思っていましたから。


うつ病になった頃から「一人で暮らしたい」と何度も言ってきていて、病気がそう言わせていると判断していたけど、「アルコールはやめない」のなら一緒に生活出来ないので、退院が決まり始めた頃に私は荷物の纏めに入り、退院してきた日に実家に帰りました。

仕事から帰っ来て毎日夜なべでしたよ。

約30年間の荷物や不用品は半端じゃなかった。

どれだけゴミに出したか…ゴミ出し疲れた〜ಥ⁠‿⁠ಥ


病気になる前もなってからも本質的には本当に優しい人でした。

けど優しいだけでは、暮らしては行けない。

健康で元気な頃の主人を思い出すと、私の思いも足りなかったのだろうと反省するし、やっぱり寂しいし悲しいな。

一緒に生活していた家や、見慣れた周りの風景、沢山の思い出、旅行、主人の声や好きだった主人の名前、笑えるツボが同じだったり…全てが私の周りから離れるという切なさ…こうなっても心のどこかでは主人が心配。

けれど、それはそれで、もう一緒に生活出来ない気持ちには変わりない。

自分の人生の方が大切だから。


時間は取り戻せないと、人生の中で何度も経験していても…こうなってしまうのは何故なんだろう。

生きている以上、人と人との関係がある限り、ついてまわるのだろうか。


こんな事の繰り返しで人生は終わっていくのかね(⁠´⁠;⁠︵⁠;⁠`⁠)